岡倉天心さん ― ボストンでの話

岡倉天心(出典:yamada-shoten.com).jpg岡倉天心(1862-1913)(明治美術界の先駆者、1910年(明治43年)ボストン美術館*東洋部長)が、ボストンの街中を弟子の横山大観、菱田春草らと羽織袴で歩いていた時、

"What sort of nese are you, Chinese, Japanese, or Javanese?"
(あなた方はどの種類のneseですか?中国人か、日本人か、ジャワ人か?)
と、アメリカ人(?)に声をかけられた。

彼は、からかわれた様でカチンと来たのか(?)、即座に切り返した、と言う:

"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?"
(我々は日本人紳士です。では、あなたはどの種類のkeyですか?ヤンキー(often derogatory 軽蔑的)か、ドンキー(バカ、マヌケ)か、マ(モ)ンキー(サル)か?)

このやり取りって、実際あったのかなあ・・・?即座にあのような切り返しができるなんて驚き・・・これって有名な話なんですが、どなたか史実をご存じの方がいらっしゃれば聞いてみたいです・・・!!
当時、岡倉天心は日本とアメリカを行ったり来たりしていて、一年の半分ぐらいをアメリカで過ごしたと聞きます。
そんな中、着物姿のアジア人(?)に興味を持ったアメリカ人が、度々彼に声をかけていたのかもしれませんね・・・。
それにうんざり(?)していた彼が、例の'key'フレーズ・・・思いついていたのではないだろうか。
明治時代の偉人さんの逸話ですが、うまい言葉遊びですね・・・
知らんけど。

ハウスタケカの独り言でした。

ボストン美術館.jpg

*写真出典
岡倉天心:『ウィキペディア』
 ボストン美術館:link-usa.jp

「私、スーパーマン・・・?!」

superman (003).jpg夏の暑い日、京都市内のホテルでの出来事・・・私はアメリカ人グループの歓迎会の司会をした。
グラスにビールが注がれ乾杯の準備が整ったところで、日本側を代表して英語のスピーチが始まった・・・歓迎の熱~い思いが入りすぎていたのか、長~いスピーチ・・・冷たいビールを前に、参加者にやや疲れが見えた・・・。
ようやく終了・・・そして私は一言言った、"Thank you very much for your long long speech.(少し間を置いて)Very interesting, though".(長~い、長~いスピーチ、どうも有り難うございました(少し間を置いて)とても面白かったけど)。
実は、前半の部分で少し受けを狙ったが、全く反応なし(作戦は失敗!)・・・少し間を置いて"Very interesting, though".・・・何と、このタイミングでどっと笑い声・・・同時に、バチバチと拍手が起こった。
乾杯の後、歓談・・・多くの人が私の所に来た・・・
"Mr. ~, very nice. You do have a sense of humor. You are a superman".(Mr. ~ 、とても良かったよ、本当にユーモアがあるね、スーパーマンだよ)と、大喜び・・・。
何故、意外なところで大受けしたのか・・・?!ここで理由を探ってみる:

実は、前半の'long'(長~い → くどい)と、後半の対照的な語義の'interesting'(興味・関心を引き起こす → 面白い)が、副詞though((補足的に)もっとも~ではあるが)でつながり、long ― interesting ― thoughの論理の流れがアメリカ人の笑いのツボにはまったのではないのか、と分析する 。

ところで、最近、「結び言葉」として流行している(実は、私も使っている!)「知らんけど」の英語表現について、色々と議論されているが、私はこの'though'を使った表現が案外、据わりが良いように思う・・・。
で、一番近い英語は、'sure'((主観的に)確信して)を使ったI'm not sure (or Not sure), though.ではないだろうか・・・?!
しかし、「知らんけど」を使う脈絡、タイミングは日本語を母語とする話し手の独特の空気感があり、英語に置き換えるのに無理がある、と私は思っている。
第一言語の母語は、第二言語の英語などの外国語とは異なり、精神・魂・心そのものだからである。
知らんけど・・・。  

ハウスタケカの独り言でした。

(写真出展:www.amazon.co.jp)

'HOMES'とは・・・?!

'HOMES'と言えば、「家、家庭」をイメージしますよね・・・。
しかし、ここでいう'HOMES'とは語呂合わせで、アメリカ北東部とカナダの国境にある淡水湖群「五大湖」(the Great Lakes)のことです・・・。
その'HOMES'とは以下の湖です:

Huron(ヒューロン湖), Ontario(オンタリオ湖), Michigan(ミシガン湖), Erie(エリー湖), Superior(スペリオル湖)

五大湖、アメリカ全体(出典:platabi.com) (002).png 

アメリカは日本の約25倍の面積で、世界で3番目に大きな国です(因みに、ロシア > カナダ > アメリカ > 中国 > ブラジル > オーストラリア > インド の順に大きい)。
東海岸のニューヨークから西海岸のロサンゼルスまで約5,000㎞で時差は3時間・・・アラスカ州とハワイ州の各1時間を含めると、東部標準時とハワイ標準時の時差は何と5時間・・・!!
そんな広大なアメリカは、湖も半端のない広さで、最大の湖「スペリオル湖」(カスピ海に次ぎ世界第2位、淡水湖としては世界最大)は、琵琶湖の約120倍の面積・・・でかっ!!
湖の位置は、西から「角(スミ)冷え夫(ヒエオ)」で覚えられる・・・ めっちゃ簡単!でも寒そう・・・!

ナイアガラの滝.jpg
あの有名な「ナイアガラ瀑布」(Niagara Falls)は、「エリー湖」から「オンタリオ湖」に流れるナイアガラ川(Niagara River)にある滝で、「ゴート島」(Goat Island)によって、アメリカ滝(ニューヨーク州)とカナダ滝(オンタリオ州)に分かれる・・・。
さらに、小さな「ブライダルベール滝」(Bridal Veil Falls)が、アメリカ滝側の「ゴート島」
と「ルナ島」(Luna Island)の間にある。
実は、あの「ヨセミテ国立公園」(Yosemite National Park)にも同じ名前の「ブライダルベール滝」(Bridalveil Fall)があるが、英語名は異なっている・・・。
"Space changes people ・・・!!"

ハウスタケカの独り言でした。

ナイアガラの滝(アメリカ滝・カナダ滝) (002).jpg
*写真出典
アメリカ全図:platabi.com
五大湖:mikissh.com
アメリカ滝・カナダ滝:kuronekokomachi.com

夏目漱石の「カイゼル髭(ひげ)」は、一体どこから・・・?

こんな疑問を抱く人はいないかもしれません・・・。
漱石の両端がピンとはね上がったあの立派な八の字型のカイゼル髭(荒正人『 漱石研究年表』、1974)は、一体何がきっかけだったのでしょうか?
彼は、1900年(明治33年)文部省の第1回給付留学生として、2年間のイギリス留学(1900年9月~1903年1月)を命じられた。
「日本と西欧との圧倒的な差に絶望した漱石は、ロンドンでは誰とも交流せず部屋で独り読書と勉強に明け暮れ、ビスケットを食べて生活していたという。いわば元祖引きこもりだ。」(板野博行『眠れないほどおもしろいやばい文豪』、2020)、とある。
留学中、ずうっとそうだったのだろうか、私は少し疑問に思っている・・・。
彼はロンドンで下宿を5回も変え、勉学に勤しむ一方、留学費不足やホームシックが原因で神経衰弱になったが、それでも結構忙しくしていたことが詳しく記されている(荒正人『漱石研究年表』)。
また、滞在期限を一年延ばしてフランスへの留学を本気で考えていたらしいが、文部省に認められなかったようである。
そんな中、彼は1901年2月2日、3回目の下宿の主人とヴィクトリア女王の葬儀を見送るために、ハイドパークの近くまで出かけている。
その時、エドワード7世(女王の長男)とドイツ皇帝カイゼル(ウィルヘルム2世)を目撃した。
漱石がカイゼル髭を生やすきっかけになったのは、その時に見た皇帝カイゼルを象徴するあの八の字型の髭が、'ぴしゃりと心のカメラに焼きつき'(『草枕』)、強い印象として残っていたからではないだろうか・・・?!
知らんけど・・・。

ハウスタケカの独り言でした。


ウィルヘルム2世(出典:『ウィキペディア』).jpg夏目漱石(出典:「別巻 漱石研究年表」『漱石文学全集』.jpg

写真出典
夏目漱石:『漱石研究年表』
ウィルヘルム2世:『ウィキペディア』